<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2026-5-1<br>更新日: 2026-5-1 </span></p> # 山崎敦子 「名も無き人々によってつくられた世界」 [『ぱん歴』](https://www.keikousyaweb.com/%E5%88%8A%E8%A1%8C%E7%89%A9/%E3%81%B1%E3%82%93%E6%AD%B4-%E5%89%B5%E5%88%8A-%E7%AC%AC1%E5%8F%B7/)という雑誌をご恵投いただいた。 この雑誌に、我が旧友である山崎敦子さんが書評を書かれたとのことで、山崎さんが送ってくださったのだ。2月あたりにいただいたのだが、他のあれやこれやをしており、読むのが遅くなってしまい申し訳ない。 山崎さんとは私が大学生の時からの付き合いだ。SNSでやり取りをし、私の社会運動家時代には東京で痛飲したのを今もよく憶えている。飲み屋で騒ぎすぎ、店員さんから「静かにしてくれ」と怒られたっけ。 山崎さんは今回、宮元常一の名著[『日本残酷物語2 忘れられた大地』](https://www.heibonsha.co.jp/book/b160291.html)の書評を書かれたとのことだった。私のことを思い出し、よければ読んでほしいと送っていただいた次第。ありがとうございます。 &#13;&#10; &#13;&#10; ![[yamazaki.png|460]] &#13;&#10; 『日本残酷物語』はイザベラ・バード『日本奥地紀行』、柳田國男『遠野物語』と並び、日本の生活史を抉る名著である。山を野を跋扈された山崎さんらしいチョイスだ。思えば、山崎さんはいつも、その土地の「生活」に目を向けておられたのを思い出す。 『日本残酷物語2』は「忘れられた土地」がテーマとなっており、「みちの島」である奄美の島々、トカラ列島における蘇鉄地獄や、薩摩藩の支配下の元での奴隷労働の生活史から始まる。そして伊豆諸島、山間部、北海道開拓の歴史が宮元常一らの聞き取りによって文字となっている。 &#13;&#10; &#13;&#10; > 読み終えて思うのは、「残酷」という言葉が単に惨状を誇張するものではないということである。国家の発展の陰で、自然や為政者に翻弄され続けた人々にとって、歴史そのものが「残酷」であった。その声を拾い上げ、忘れられた土地に生きた人々の記録を読むことによって、現代に生きる私たちがそのことを思い出し、考え続ける意味は大きいであろう。[^fsafsdfa] &#13;&#10; 山崎さんの指摘通り、日本にも植民地支配は存在した。日本は複数の国々がゆるやかに一つの文明を形作る「帝国」であり、その帝国の「外部」と見做されるものへの支配・搾取・弾圧の苛烈さは「大東亜共栄圏」をアジアの悪夢とした。 キリシタン弾圧、アイヌ民族への弾圧、また薩摩藩の奄美への搾取、アジア諸国の併合と現地人の内面の侵害、戦後の台湾・旧植民地出身の兵士・軍属への未賠償問題、沖縄への基地負担の押しつけなど、現代に至るまで植民地支配は続いている。 はたして、日本と呼ばれる分明には異文明との共存・棲み分けの原理はあるのだろうか、と絶望的な気持ちになるときもある。 しかし、私たち現代に生きる者もまた、過去という「歴史」からこの国土や遺産を与えられた者たちだ。与えられた戦後復興、経済復興を享受し、与えられた土地に住む私たちには、過去・現在・未来という人間が認識できる時間軸において「私たちは何をすべきか」を問い続ける責任がある。 その当為命題に応える人々の実践が歴史をつくり、また日本という文明の未来を決めていくだろう。 現在、世界的にそれぞれの文明圏での伝統回帰の流れが強まっている。日本という文明が、かつての偏狭で「残酷」な植民地主義・排外主義の伝統へ回帰するのか、もしくは寛容さとおおらかさの原理を過去から現在へ再解釈し、開かれた文明(帝国)へ向かうのか。 &#13;&#10; &#13;&#10; 私たちが領域国民国家と貨幣という偶像から自由になるには、「歴史は与えられたもの」という当然の感覚が必要であり、それなしには開かれた未来の見取り図が見えることはないだろう。 山崎さん、また私たちの過去と現在と未来の話をしましょう。今の私は酒を飲まなくなってしまったので、次はコーヒーでも一杯飲みながら。 [^fsafsdfa]: 山崎敦子, 2025, 「名も無き人々によってつくられた世界」『ぱん歴』(1): 109-111.