<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2024-3-22<br>更新日: 2025-10-8 </span></p> # 防災あれこれ 2024年は大きな災害と共に始まりました。1月1日に起こった能登半島地震は大きな被害をもたらしたと共に、新年ののんびりした気分を吹き飛ばす衝撃を私たちに与えました。 これまで、私は防災などをほとんど考えない人間でした。自治会の防災訓練にも出てないし。しかし、災害は身近にあることも事実として知っていました。 私が小学生の時に、アメリカで同時多発テロが発生しました。 ニューヨークの世界貿易センタービルには親戚のお兄さんが勤めていて、親族は大騒ぎだったのをおぼえています。 幸い、親戚は辛くも難を逃れ生きて帰国できましたが、日常というのは時に脆いものだという事実は子供心に大きなショックでした。 しかし、ショックが大きいものから目を背けるのは人間の防衛本能なのでしょう。そういった経験がありながらも、防災の備えはずっとしてきませんでした。災害の備えをしてしまうと、日常が脆く崩れてしまうことを認めてしまうようで、嫌だったのです。 防災という言葉に嫌悪感も感じていました。「地震」「被災」「防災」などの言葉をMastodonで除外ワードに設定していた時期もあります。 &#13;&#10; &#13;&#10; <center>・ ・ ・</center> &#13;&#10; しかし年齢も30歳を超えると、少しずつ考え方も変わってきます。 なんというか、恥の多い人生を生きてきた自分であっても、なんやかんや受けいれてくれた地域や家族なんかにも恩返しがしたいな、悪かったなぁ、なんて感情も生まれてきます。 そこで、能登の地震がありました。 寄付をする方、ボランティアに行く方、様々な人が被災地の手助けをしようとする様子を見ながら、自分には何ができるのかを考えました。 まず体が悪いのでボランティアは無理です。そこで考えることがありました。同じような地震が起きたら、滋賀で私はどうするのだろうと。 私の住む地域も高齢化が進んでおり、ご近所は高齢者が多数住んでいます。私自身も、市から頼まれて見守り隊に入っています(なんもできてないが)。そのような状況下では、公助がパンク状態になる災害時は、共助が大切になってくるでしょう。 長距離を移動するボランティアなどはできなくても、災害時に地域でできる共助はある、という事実に思い至りました。 私は現場仕事を何年かしていたので、基本的な道具の使い方などはわかります。 バールがあれば、開かなくなったドアをこじ開けて中の人を外に出すこともできます。ワイヤーカッターがあれば、からまったケーブルなどを切断することもできます。強力なライトがあれば、広範囲を光で照らすこともできます。緊急包帯があれば、出血してる人の初期の処置ができます。 そんなこんなを考えて、自分なりに道具を揃えはじめました。 防災に忌避感を持っていたので、イチからの勉強になりましたが「もしかしたら、自分だけではなくて誰かのためになるかもしれない」と思うと、不思議と勉強できたし、多少の出費も苦になりませんでした。 &#13;&#10; &#13;&#10; <center>・ ・ ・</center> &#13;&#10; 半年かけて、防災や防犯の勉強を自分なりにして、道具を揃えました。 強い忌避感があった「防災」ですが、ある程度装備が揃うと気持ちも落ち着いてきます。「地震」や「被災」などの言葉を見ても、以前ほど動揺することもなくなってきました。 これは「自分は備えをしているから絶対大丈夫」という慢心ではなく「やるだけはやっているのだから、あとは事が起きたらできることをしよう」と素直に思えることが大きいです。 人は平時から急に有事へと状況が突入してしまうと、頭が真っ白になってパニックになってしまいやすいものです。私なんかは精神的に脆いので、余計にそうでしょう。 しかし、平時と有事の間にワンクッション、「準備・想定・訓練」という黄色信号を挟んでおくと、青信号から急に赤信号にもなりにくくなります。状況に少しでも対応できるということですね。 地域のためになればと考えて着手したことですが、気がつけば自分のためにもなっていました。 なんか、もっと早くしておけばよかったなぁと思うと同時に、自分の20代のアホさ加減では、これには気づけなかっただろうな、とも思います。 さて、ここ半年はそんな準備にごそごそと取り組んでいました。やっぱり、慣れないことは時間がかかるね。 もし、これを読んでくださるみなさんの役に立つことがあれば嬉しいので、Notionにまとめた私の装備品一覧を貼っておきます。 &#13;&#10; &#13;&#10; #### [防災装備一覧 | Notion](https://oryzivora.notion.site/602cf5c4b2854d61a2f8e62483017252?source=post_page-----d5f7cbbf56e4---------------------------------------) &#13;&#10; さてさて、最後は1995年の兵庫県南部大震災で自らも被災し、被災地で精神科医として臨床に立ち続けた故安克昌先生の言葉で締めくくりたいと思います。 > 虚無感とたたかいながら、自暴自棄にならず、あせらず、正気を保ちつつ生きていくのは、大変な忍耐を要することである。だが、悲観論をこえて、はじめて手にする楽観もある。 > たとえば、それにつながるのは、震災直後の隣人どうしで助け合ったことの記憶である。多くのボランティアや救援チームが被災地に駆けつけた。それは幻のような、ほんの数ヶ月のことであったが、そのときに人と人とのつながりの大切さを実感した人が多かっただろう。そして、今も地道にボランティア活動を続けている人たちがいる。虚無感を癒やすのはモノではなく、やはり人との結びつきである。それは古くて新しい価値の発見であった。 > 個を尊重しながら、人と結びつきを大切にする社会のありかたが、今こそ問われていると私は思う。[^8sks] 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 **参考文献** [^8sks]: 安克昌, 2020, 『[増補新版]心の傷を癒すということ』 作品社, 288.