<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2024-11-3<br>更新日: 2025-10-8
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# 在野で知を求めること
この記事は[はこべさんの記事](https://note.com/hakobe/n/neba7cf634d33)への私なりのアンサーというか、応答として書いてみるものです。
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さて、私は学部生として大学に6年いましたが、もともとは研究者志望でした。
高校時代に読んだカント『純粋理性批判』に「なんてこった、一行も理解できない!」という衝撃を受け、文学青年を気取っていた自負心をへし折られたのが哲学との出会い。
そこから「知りたい、読めるようになりたい、理解したい!」という強い思いに突き動かされ、私が在学していた高校ではただひとり一般入試を受け、大学に進みました。
底辺不良高でみんな就職か専門へ進みましたが、私はどうしても哲学が学びたかったのです。だって「わからない」から「知りたい」から。はこべさんの記事にある「好奇心」に私も衝き動かされたのでした。
そして院に進むつもりで学部生として過ごしましたが、いろんな出会いがあり学部生として院の授業やゼミや研究会に出席させてもらい、学部生とのつき合いより院生との付き合いが多いような学部生となっていました。
そんな修士・博士の世界を見ているといろんなものが見えてきます。まぁ、詳述は避けますがアカデミアの抱える矛盾というのも大きなもので、教育機関と研究機関と経営組織を兼ねるというのは、なんつーか、いろいろあるのです。
そんなこんなで院への進学を諦め、在野で働くことにしました。
しかし、やはり知への好奇心、知りたい、理解したい、言語化したい、叙述したいという衝動はずっとくすぶり続けていました。
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しかしやはり哲学は高等教育機関で行われる学問。学会にも所属せず、修士号もないとけっこう惨めです。研究会にも入れなかったり。
そんなこんなで腐って病んでいたとき、私はアメリカの「反知性主義」という思想に出会いました。今、私はウィリアム・ジェイムズを勉強していますが、ジェイムズ理解に反知性主義は欠かせないのです。
アメリカはご存知の通り、WASP[^7ah]の国として先住民征服から始まりました。
プロテスタンティズムが厳格に社会を規律し支配する社会が、アメリカの始まりです。すこしテキストを引用しましょう。17世紀アメリカ植民地の生活はこんな感じです。
> 彼らの生活の中心は、なんと言っても日曜日の礼拝である。この日は聖書の「十戒」に定められた「安息日」であるから、病人以外は老若男女すべての人が労働を休んで教会に集まらなければならない。正当な理由なく礼拝を続けて欠席すると、罰金が科される。これは植民地の法律に定められており、罰金は教会ではなく政府が徴収する。こういう点では、当時の社会に「政教分離」という概念は存在しない。マサチューセッツでは、ひと月以上の欠席は10シリングの罰金、日曜日に音楽やダンスやスポーツをすると5シリングの罰金を科されたが、この罰則は独立革命後もしばらく存続した。[^na8]
今からするととんでもない人権侵害に思えますが、これが当時の「アメリカ」でした。私は未見ですが『チ。』の世界観とも共通するものがここにはあるのではないでしょうか?
そんな抑圧的な世界観に明確な「No!」を突きつけたのは、同じ宗教でした。それが反知性主義です。
反知性、と聞くと知性を愚弄するように思えますが、そうではありません。アメリカの初期反知性主義はハーバードやイェール大学卒業生である知的超エリートである牧師たちへの「反 anti」です。
陰鬱で抑圧的なプロテスタンティズムに対して、反知性主義に立つ説教家(リバイバリスト)たちは野外集会で教会の権威を批判しました。前掲書をまた引用します。
> もちろん、既成教会の牧師たちも彼らをそのまま野放しにしていたわけではない。当時の牧師連合会では、「ハーバードがイェールを卒業したものでなければ、教会で説教させない」(プリンストンの創立はもう10年ほど後である)ことを定めたりしたが、そんな取り決めは野外で勝手に開かれる集会には無力である。彼らもときには闖入者に面と向かって問い糾すことがあった。「いったいあなたがたはどこで教育を受け、何の学位をもち、どの教会で牧師に任職され、誰に派遣されてきたのか。」
> しかし、リバイバリストの方ではそんな問いに答える義理はない。逆に牧師たちに向かって、昂然と言い返すのである。「神は福音の真理を『知恵のある者や賢い者』ではなく、『幼な子』にあらわされる、と聖書に書いてある。(「マタイによる福音書」11章25節)。あなたがたは学問はあるかもしれないが、信仰は教育のあるなしに左右されない。まさにあなた方のような人こそ、イエスが批判した『学者やパリサイ人のたぐい』ではないか。」——これが、反知性主義の決めぜりふである。[^msa]
新約聖書の福音書では、イエスは当時の権威者であったユダヤ教の学者やパリサイ人を痛烈に批判しました。その論理を利用して、教会権威に「あなた方は信仰を裏切っている!」と斬り返した論理の鋭さがここにあります。
宗教は抑圧と支配の手段にもなります。しかし同時に、解放と批判の道具にもなるのです。重要なのは、**そこにいる人の動機**なのでしょう。
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さて、この鮮烈さに出会って私は自らを恥じました。アカデミアから出て在野にいるから何もできない、資格がないと思い込んでしまっている自分の浅はかさに気づいたからです。
そこからいろいろあって、ここ4年はいくつかの読書会や勉強会を主宰し、アカデミアの外にいる人たちと哲学書や思想書を読んで教えています。また、その活動を主体とした記事をネットで書いています。
今の私は上記のような反知性主義の土台に立っていますが、それは学知を軽んじる立場ではありません。アカデミアの成果を尊重しますし、自分の論述や実践もあまりに俗流化しないようにしています。
しかし反知性主義者として、今の私はこのように主張します。
「学とは、普遍性を志向するから学であるはずである。科学を受け入れるならば、普遍性の志向を否定することはできないだろう。ならば、なぜ普遍性がアカデミアにのみ限定されなければならないのか?普遍性はアカデミアの外でも普遍性として存在しなければ、それは特殊ではないか!」
しかし、これはアカデミアにいるとなかなか言えません。私はとても言えなかった。
だからこそ、研究で飯を食っていない在野の私こそがこれを主張しなければなりません。私はこれを高らかに主張したところで原稿依頼がなくなるわけでも、研究費が切られるわけでも、学位がもらえなくなるわけでもないからです。
このような在野からの普遍性の主張がどこかにないと、社会における学知も『チ。』の世界で描かれた宗教のように抑圧的な権威に転化するのではないでしょうか。
アカデミアとの普遍性をめぐる健全な緊張関係を保つことが、在野研究者の学知への貢献だと私は考えています。
> 現代に置き換えて考えたときに難しいのは、「社会にとって都合の悪い研究」と「陰謀論」の区別が付きづらくなっているところだろう。この点を作者が次作でテーマとしたのもなるほどと頷ける。
> 自分にはどうしたら両者を区別できるのか、現時点で結論は出せない。
> ただ一つ言えるとしたら、その人の**好奇心**ではないかと思う。
> 「誰がどうなってもいいから、正しいことを知りたい」と迷いながらも願う気持ちがある限り、人は科学者でいられるのかもしれない。[^jsa7]
さて、私の自分語りを踏まえて、はこべさんの上記の問いかけに在野から応えるならば、こうなります。
どのような信仰も神学も理論も学知も、それを扱う人間の動機によって陰謀論のような悪にもなる。それは現代の反知性主義がかつての自由さを失って権威化し、陰謀論の支持母体となっている事実からも明らかでしょう。
しかしそこにいる人間が「正しいことを知りたい、自由に知性を運動させたい、普遍性を語りたい」と願うとき、そこに健全な普遍性を志向する学知が生まれるでしょう。
アカデミアであっても在野であっても、それは変わりない。私はそう信じています。
[^7ah]: DIGITALIO, Inc., 「WASP」,コトバンク,(2025年10月8日取得, https://kotobank.jp/word/wasp-3176791).
[^na8]: 森本あんり, 2015,『反知性主義』 新潮社, 49–50.
[^msa]: ibid., 84–85
[^jsa7]:繁縷(はこべ), 「『チ。 ―地球の運動について―』から思うこと」, note, (2025年10月8日取得 https://note.com/hakobe/n/neba7cf634d33).