<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2025-10-25<br>更新日: 2025-10-26
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# 運動嫌いの運動録
拝啓、私は運動嫌いです。
小学1年の時に嫌がる私を親が無理やりスイミングスクールに通わさせたのが始まり。あれ以来、水泳も嫌いになったし、水も嫌いになった。しかも6年間通わされたものだから、相当なものである。運動そのものに嫌悪感を抱くには、十分な時間だった。
中学になってからは運動部や体育の時間が大嫌いになった。不快なジャージ、殺風景なグラウンド、人間が作ったものの中でもっとも醜悪な建築物の部類であろう体育館、頭の中がスポンジ化している憐れな体育教師という生物。
シリトー『長距離走者の孤独』、カミュ『異邦人』、ニザン『アデン・アラビア』なんかを読んでしまったので、さらに運動嫌いには拍車がかかったのが高校生の時分。
ついに体育の時間をボイコットし、外を散歩しながら読書するようになった。どれだけ怒鳴られようとも、頑として出席しないので、そのうちお咎めなしになったものだ。おかげで、卒業単位はギリギリになったので、大学へ入学できないところだった。大学入試より高校卒業のほうが難しかったのが実体験。
そんな運動嫌いの私だが、そろそろ自発的に運動せねばまずい局面になってきたのだ。
年齢は36歳、20代の頃は運動習慣がなくてもある程度体力があった。しかし、この年齢ではそうはいかない。動けば動かないだけ、体力は衰えはじめ、贅肉がついていくお年ごろだ。贅沢してるわけじゃないのに贅肉とは、これいかに。
そこで、この6年は運動嫌いが運動習慣をつける格闘の6年間となった。その現段階の顛末記をここに公開しておこうと思う。同じような運動嫌いの役に立てば幸甚である。
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#### 散歩への挫折
まずは「散歩」をしようと思った。靴と服さえあればできる、お手軽運動習慣である。
しかし、6-7年前の私は精神疾患の絶頂期は終わったものの、まだまだ寛解にはほど遠い状態だった。散歩してみても、頭の中でとめどない被害妄想やら嫌な記憶の想起やらが始まって、10分歩くだけでへとへとになるご様子。こらあかん。
この状態の場合は、運動どころではなかった。しっかり通院して服薬し、施設で生活習慣やらSSTやらをすることに専念。おかげさまで症状は寛解し、ひとまず散歩できるようになるまで1年半ほどかかった。
散歩だって、メンヘラには大変なのだよ、ワトソン君。
#### ポールウォーキングへ
ただ散歩しているのもなんか違う気がしていたので、ポールウォーキングをすることにした。高齢者が街を歩いているアレだ。[ミズノから出ているポール](https://jpn.mizuno.com/ec/disp/goods-list/?dispNo[]=001001052008001001&banner=001001052008001001&closedSiteTemplateNumber=1&n12c=onSale&s11o=1&s12o=1&s13o=1&s14o=1&s15o=1&s16o=1&s17o=1&k_uid=Ez6V8ZviDK9WLdew42khyB7KaOHI24&mizunoMemRank=01&view=ajax_new)を購入。1万円、うーん金がかかる。しかし健康には代えられない。1万円で体力がつくなら、安い投資だと感じた。
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<p align="right">Photo by Gábor Kárpáti on Unsplash.</p>
ポールウォーキングはリズムをつかみやすいので、私にはぴったりだった。サングラスをかけてリュックを背負い、音楽を聴きながら、遠くまで歩いたものだ。まぁ、遠くといっても5キロほどだが、当時の私としては地平線の彼方ような心地だった。
これで「外出ができる」という自信がついたので、次の計画を練りはじめた。それは「遠出」と「アウトドア」だ。
#### 遠出
20代後半から、とにかく遠出が苦手だった。すぐ体力が尽きて、しんどくなってしまうからだ。人ごみの騒音などにも過敏だった。
しかし、チャレンジはしてみたい。少し体力がつけば、そこまでしんどくもらないだろうと予測していたからだ。
まずは適切な装備を揃えにかかった。スリングバック、帽子、靴、耳栓、などなどを半年かけて揃えた。ポールウォーキングの時に、適切な装備を揃える大切さを実感したからだ。
またスマホで新幹線や在来線の切符を買ったり、宿の予約など滞りなくできるようにした。1passwordは特に役立ったツールだ。Bitwardenでも良いだろうが、パスワードマネージャーなしに電子マネーやオンライン予約をしようとすると、いろいろしんどいのだ。
そして遠出してみた。やはり耳栓など、装備が揃っていると楽だ。うーん、進歩。
#### アウトドア
次はアウトドア。長年の夢だった山歩きを再開させることにした。
まず試みたのが、ブッシュクラフト系のYouTube動画を参考に、山でご飯を食べてみることだ。ブッシュクラフトスタイルなら、目的のフィールドに車で横付けもできる。これは大正解で、美しい渓流での食事など、外に出たくなる場所に巡り合うことができた。
![[2025takibi.jpeg]]
そして、次は山登りへ。といっても、いきなり高い山に登る勇気なぞない。
近場にあった標高300mの里山の1/3まで登って、そこでお茶でも淹れて下山することを何回も繰り返してみた。その過程で、モンベルへ行き必要だと思えそうな装備を揃える。具体的には登山靴とザックと肌着である。この3点がある程度揃えば、里山なら十分歩けることもわかってきた。
そして300mの山の頂上へ。最初はそれでもひーひー言っていたのを思い出す。200mくらいから息切れして、登頂するころにはへろへろだったのを覚えている。ポールウォーキングをしていなかったら、もっとしんどかっただろう。もちろん、次の日は酷い筋肉痛だ。
しかし、300mの里山登頂で気を良くして、私は次から次へと山へ登って、その楽しみに魅了されていった。
#### ジョギング
山登りと平行してはじめたのがジョギング。近所を20分ほど走ることからはじめた。
しかししんどい。最初は5分も走れず、すぐ歩いていた。でもなんとか20分は外を走ったり歩いたり。
見慣れた街の風景しか見れないジョギングには飽き飽きしたが、月3回くらいは走ることからはじめた。そのうち山登りで体力がついたので、30分くらい楽にのんびり走れるようになった。ここまで1年かかったが。
ジョギングだけだったら挫折していたと思う。しかし、時にはポールウォーキングをし、時には登山をするといった選択肢の多様さがあったので、ジョギングもその選択肢の一つとして続けられた。飽き性なので、複数のことを同時にやったのはよかったように思う。
#### 今どうなったか
ここまでで5年ほどかかった。ゆっくりした道のりだったことは強調したい。決して1本道の素早い歩みではなかった。
現在は月に3回は登山をし、週に2回はジョギングを楽しむ生活を送っている。以前より体力がつき、遠出も苦でなくなったので、交際や趣味の範囲も広がった。
なにより、登山文化というものを知れたのはうれしかった。自分のライフワークである哲学の、強力な参考になることがわかったからだ。もし登山文化を知りたい方は、まずは漫画の『岳』や『山と食欲と私』を読んでほしい。視野が広がるだろう。
運動嫌いが運動をすることは、大きな壁がある。それは、運動をしていると過去の嫌だった記憶を思い出すからだ。私もそうだった。
しかし、人間はいい加減な生き物で、楽しかったことがあると、嫌な記憶もなくなりはしないが、徐々に上書きされていくことに気づいた。ポールウォーキングをしながら湖岸からみた夕日、里山の美しい紅葉、標高1000mの高さから見る山々と下界の街などは、かつての嫌な思い出を上書きするのに十分な力を持っている。
あの頭スポンジボブの体育教師など、山には居やしない。アホ教師より熊のほうがよっぽど存在感があるものだ。そういったことを肌身で学んで、かつての運動に対する嫌悪感は消えていった。
![[2025takamuro.jpeg]]
また来週にでも、私はどこかの里山に登っているだろう。そんな身近な楽しみを、誰かと分かち合うことを望みながら。
この記事が、運動嫌いの方の運動のための参考になるとうれしい。私も運動嫌いだったし、今でも体育チックな競技などは大嫌いだ。
しかし同時に、自由で豊かで孤独な運動、そんな良さもある。そんなことをつらつらと書いてみた。