<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2026-12-23<br>更新日: 2026-12-23 </span></p> # 今の情勢への雑感などなど 今日はムスリムであり、弁護士であるアーシム・クレイシ氏が書いた記事の翻訳を読んだ。 [ムスリム・インフルエンサーがもたらす害について](https://note.com/suleymaniye/n/n55589f16fb7f) 内容は今の日本にも蔓延る、対立や論争を煽って集客するSNSインフルエンサーへの強い非難だ。 この状況はすでに世界中で起きているが、クレイシの主張は他にない力強さを感じさせるものだ。それは彼がイスラーム教共同体(ウンマ)という大きな意味をもつ視座を持つためだ。 &#13;&#10; &#13;&#10; >しかし、もう一つの世界は確かに存在している。アッラーのみのために闘い、抵抗し、犠牲を払うという、真の闘争の世界である。私は、親友であるタウキール「トックス」シャリーフと、その家族全員が、ムジャーヒディーンとムスタドアフィーンの側に立つためにシリアへ移住したことを思い起こす。彼らの模範は、いったいどこへ行ってしまったのか。銃火の中で報道を続けるジャーナリストたちの模範はどうなのか。ジェノサイドを止めようとしたり、自国の抑圧的政策を終わらせようとしたために、世界各地の刑務所に収監されている若者たちの模範はどうなのか。英雄的行為の例は数多く存在するにもかかわらず、それらはポッドキャストやソーシャルメディアの断片的発言に比べて、ほとんど注目を集めない。[^lsf9] &#13;&#10; 彼の言葉には、商業主義に適応し共同体を分裂させるムスリム・インフルエンサーに対して、それらより大きく高い歴史的意味を提示して批判する力強さがある。 イスラームの同朋を抑圧・虐殺することへ、アッラーの名のもとに自己犠牲を払いながらNoを突きつける者たちの、豊かな意味がある。 ### 日本のこと さて、主題はムスリム・インフルエンサーではない。私たちの国のことだ。 クレイシの主張を読み、私は自国のリベラルや右翼の凋落を想わずにはいられなかった。現在、どのような政党や団体が、クレイシのような意味の力強さを持って、商業主義や分断を非難できるだろうか。 人はなにか「(時間的にも意味のレベル的にも)大きな物語」において自分の人生を俯瞰し、意味を発見するものだ。人間の歴史の各時代には、その意味の体系が存在した。 ある時は哲学的思想、ある時は宗教、あるときはナショナリズム等といった形をとりながら、それらの「大きな物語」は人の生に意味を与え、体制に殉ずるにせよ反抗するにせよ、歴史の中で力強く活動する主体的に歴史を生み出す「個人」を成立させてきた。 しかし、現代日本は敗戦によって、かつての「大きな物語」であった国家神道という宗教を廃棄し、敗戦後の「大きな物語」だったリベラリズムと経済発展も、現在では無意味化して凋落してしまった。 現在、どれだけの人が日本型雇用社会を前提とした職業的ステップアップに応じた人生計画を立てられるか。どれだけの人が「人権」という概念を自らの自尊心や利己主義を超えたものとして、自己犠牲とともに示せるか。 私が見る現代日本の人びとは、どうやって自分の人生に意味を発見したらいいかわからない人たちであり、大きな物語が与える意味を喪失しつくし、社会の中で「消費主体としての自分」しか感じられないような人たちだ。 彼らも苦しみの中で生きている。意味の喪失は、どうしようもない不安をもたらすのだ。歴史という社会に参与できず、星も見えない夜に、孤独に大海原をボートで漂流するような、そんな孤独と共に。 ### 生きる意味の喪失 現代、SNSや市井で話をしていると、多くの人が「自分の人生には意味がある」と仮定することさえ諦め、そればかりか「意味を問う」という姿勢そのものに恐怖を感じている姿をよくよく見せる。そのような「本質的に、人生に意味などありえない、あってはならない」という恐れの姿勢は、無限のシニシズムを引き寄せ、歴史の中で主体として活動する個人の成立を阻むだろう。 冒頭のクレイシのような自己犠牲を前提とした気高い言葉を、日本で語れる人もそういまい。 自己犠牲を厭わない主体的個人の不在を前提として、シニシズムを糧として、これから本当の衆愚政治が発展するだろうと私は考えている。 トランプが大統領になり、高市政権が成立し、リベラリズムの凋落は誰の目にも明らかになっている。都合の悪い「分かりあえなさ」を無視して「多様性」という一つの眼鏡で世界のすべてを解釈しようとしてきた「リベラリズム」は、リベラリズム足りえないことを露呈させた。 今後は泡沫政党が乱立して、「右、中道、左」などの言葉の意味さえ失われ、票集めや利権集めに政治も市民団体も必死になるようなカオスが生まれるだろう。政治的、社会的一致点は失われ、混乱は深まっていくだろう[^0sak]。 そのうちトランプも寿命で死ぬが、その後「トランプのほうがよかった」とか「安倍、麻生政権はとてもよかった」と心から思うような状況になるだろう。 トランプは「反リベラル」という明確な芯と実業経験を持っているが、彼に続く政治家にそれがあるようには思えない。右も左も中道も、意味を失って巨大な軍事力や経済力という脅威だけが取り残される。そんな未来図を思い浮かべている。 人は社会の中で自己を認識するので、分断されまくって、さらに意味が極度に喪失したその社会の中で、人間性も失われ「サービスを購入する以外のやり方で、どうやって人と繋がったら良いか」さえ分からなくなるだろう。ひたすら自分の感情のみを主題にする人が、極端に増えるだろう。 いや、もうだいぶそうなっているようだが。 ### 「先進国」の自己矛盾 そのような意味の喪失と歴史における主体の喪失というシニシズムの支配する状況は、トランプも織り込み済みだ。 ベネズエラ侵攻も、「先進国」諸国は強く非難できないのを十分に見越してやっている。 先進国に批判的なベネズエラ左派政権に天然資源を握られて、物価高が進むことをどこの国民も歓迎しない。溢れる難民だって悩みの種だった。 そんな状況でトランプが無茶やっても、西側諸国の問題処理をトランプが代行してくれている図式になっているではないか。 私らがトランプをいくら「帝国主義者め」と罵っても、トランプからすりゃ「お前らの消費社会という帝国を守ってやってるのじゃないか」となるだろう。 そこで、「先進国」における自らの生活を手放し、天然資源が前提となっている暮しを放棄することを前提としたトランプ批判が巻き起こるだろうか。答えは現在の状況を見ればわかる。Noだ。 私たち「先進国」の市民社会は、中東やグローバルサウスと呼ばれる地域に負担を押しつけて成立する、現在の暮しを否定するだけの「意味」を持たない。 ### いかに生きるか そんな状況は私が生きている内にもう来ている。そして、歴史の流れはシニシズムに流れて止まらないようだ。 しかし同時に、私たちは日々、生活していかなければならない。<span style="text-decoration: underline; text-decoration-color: #ADD8E6; text-decoration-thickness: 4px;">シニシズムに染まりきって首を括るつもりは、私には全くない。</span> 私は、現在の流れに対抗して、自分の周囲だけでも状況を俯瞰して分析し、人間性を保てる関係を作ることに、現在注力している。 歴史や宗教という、大きな意味の枠組みを学ぶことを[促す](https://oryzivora.page/essay/2026/0116)のも、そのためだ。 自分の中での歴史を眺める視座を昨年はやっとこさ構築した。20年ほどかかったが[^0f4e9]。 今度は、人とのネットワーク作りに取り組んでいる。これは苦労も多いが、やりがいのある仕事だ。 &#13;&#10; &#13;&#10; 思想家として、キリスト者として、私はネットのここらで天幕を張って、数千年前から続く大きな物語の中に居つづけるだろう。啓典の民の天幕には、ユダヤやイスラームの同朋がたくさんいる。 もしこれを読んでいるあなたが、シニシズムという虚無に疲れ果てて、意味の香りを嗅いでちょっとほっとしたかったら、私の天幕に遊びに来ればいい。 靴も脱がずに入ってくる無礼者は叩き出すが、友情と相互への敬意を持ってきてくれる人なら大歓迎だ。お茶でも飲んで、雑談でもして、自らの日常に帰っていけばいいのだ。 考えてみれば、私もそんな営みを10代から続け、自己形成してきた。他者の天幕にお邪魔し、そこの体系性や意味性を学び、そして自らを省みて、自分の天幕を作る。 その意味を紡ぐ営みの巨大な総体を「歴史」と呼ぶのであって、歴史は選挙や経済や軍備の動きで作られるものでは決してない[^dfa]。 その事実は、様々な宗教や哲学思想が豊かに証ししている。 そんなことを考えながら、今日も私は意味の中で生きている。 [^lsf9]: アーシム・クレイシ, 2025, 「ムスリム・インフルエンサーがもたらす害について」, イスラム世界note, (2025年1月23日取得, https://note.com/suleymaniye/n/n55589f16fb7f). [^0sak]: 公明党と立憲民主党との合流は、その文脈のなかにある。公明党を追いつづけている宗教社会学者である島田裕巳の下記note記事を参照のこと。<br>島田裕巳, 2025, 「創価学会消滅の意味するものは何か?」, 島田裕巳note , (2025年1月23日取得, https://note.com/nice_tulip662/n/nf10352e37dc9). [^0f4e9]: 現在の私の歴史への視座は、20世紀アメリカのプロテスタント神学者ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)のキリスト教リアリズム・歴史神学に立脚している。 [^dfa]: この視点から私は、現代リベラルがよく主張する「投票によって未来が変わる」とする「選挙中心主義」は人間性への冒涜であると考えるので、忌避している。