<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2026-2-11<br>更新日: 2026-2-12 </span></p> # 土台をつくる大切さ ### 土台の有効性 今日はMastodonでこのような投稿をした。 &#13;&#10; &#13;&#10; >まず、自分が依って立つ基本テキストや思想家を決めると良いです。 そうすると、議論の相手もまずは議論を成立させるために、そちらを参照できる。 > 土台がないと「ひたすら相手の主張や感情を聞き続ける」羽目になり、議論的関係が崩壊しやすくなるのです。 相手の使ってる語の定義から、議論のなかで確認する作業になってしまう。 > 例えば私ならラインホールド・ニーバーを基礎にしてるし、これから政治議論でニーチェ『ツラトゥストゥラ』を基礎にすべく準備をしています。[^2rqa] &#13;&#10; なにか生産的な議論や投稿などをしたければ、まずは自分の土台を決めてしまった方が良い、という主旨だ。 土台がわからないと、それにコメントしたり理解を示そうとする相手が困ってしまう。この人はなにを土台にして物を言っているのか、使われている言葉の意味はなにか、どのような文脈の中にその発言を位置づけているのか、等々がわからないからだ。 結果、相手の発言に疲労し「もうほっとこ」となる。よくある話だ。 ### 私の場合 そのようなことを避けるために、自分の立ち位置を説明しておくのは大切だ。 例えば、私のMastodonのプロフィールはこのようになっている。 &#13;&#10; &#13;&#10; >事務職をしながら本を読んだり書き物したり > 現在は一神教における神論、自由論、創造論などをなんやかんや。 &#13;&#10; 少なくとも、ここで「うえの」という人物は一神教信仰の文脈に立つことはわかる。そして、私の個人サイトの[[プロフィール]]を見れば、私がキリスト教徒であり、プロテスタントであり、福音派に属しており、さらにニーバー神学の影響を受けていることも分かる。 ここまで分かれば、私の投稿の背景もわかる。私が「神」と投稿すれば、それはユダヤ教の神であり、キリスト教の神であり、イスラーム教の神である「唯一神」のこと以外あり得ない。 私が「偶像崇拝」と言えば、それはキリスト教徒として避けるべきことである、等々。 通常、そこまで私の情報を精査して私の投稿を見ている人はいない。どこにでもいる、頭のおかしいアカウントとして付き合ってもらってることがほとんどだ。 しかし、私の投稿に何かを意見したい人がいたとして、その人が発展的な関係を望むなら、この程度のことは調べるのが普通であり、礼儀でもある。5分もかからないので。 思想的「土台」とは、そのようなものである。人間関係の土台、と言い換えられるかも知れない。 ### どのように土台をつくるか さて、これから土台を作ろうとする人に、何かしら役立つ経験でも分かち合おうと思う。 私の土台作りは - 基礎テキストを決めて、それに何年も取り組む - ロールモデルとなる現代の思想家を見つけて、その人の動きから学ぶ これに尽きる。 基礎テキストは古典が良かった。私にとってそれはカント『純粋理性批判』、ヘーゲル『精神現象学』、マルクス『資本論』などだ。 もちろん「毎日読む!」などしていない。しかし、それらのテキストについて新しい解釈や解説書が出たら、なるべく目を通すようにしている。そうすると、それらのテキストが様々な思想を支えていることが分かる。そして本文を読むと、翻訳からでも得るものは多い。 多様な解釈が存在しえるのだから、ちょっと読んでわかった気になって、その自信を粉砕されるという、謙虚さを身につける体験もできる。 ロールモデルについては、様々な人がいた。 ここ5年だと田川建三、中井久夫、清水俊史、加藤隆、マルクス・ガブリエル、斎藤幸平、中田考などの名前が思い浮かぶ。 このように、同時代を生きるすぐれた思想家の動きから学ぶことは多い。また、自分とは相容れない点を見つけ、その点をどのように自分の思想として位置づけていくかも大切な作業だ。守破離、にも似ている。 また、これらの現代の人は存命なら会いに行けることも良い点だ。シンポジウムや講演など、機会は様々ある。そのロールモデルに弟子入りするなどもいいだろう。 ### 議論について 様々な人と議論してみることは、自分の土台作りに不可欠な営みだと感じてきた。 私は18歳から無数の読書会や研究会に出入りしてきたが、お陰で様々な人と議論ができた。時には悔しく、時には楽しいそのような日々を今も続けている。 また、読書会は私の学びにとって重要な要素であり続けた。 現在も毎月、地元の牧師とキルケゴールを読む読書会を行っている。また、オンラインでもいくつもやってきた。 読書会のコツは「継続にこだわらないこと」だと感じる。私もいくつもの読書会を立ち上げ、そして潰してきた。そのように流れていくことも必要だったのだ。「一つの読書会に何年もいる」というのは、私には向かなかった。ここは向き不向きかもしれないが。 喧嘩別れも良い経験である。 ### とりあえず書くこと 読書会や基礎テキストへの取り組み、ロールモデルによる学習と平行して行ってきたことは、「とにかく書くこと」だ。それがSNSの投稿でも、ブログでもかまわない。書かないことには、今の自分がどれだけ未熟なのかもわからない。その未熟さへの直面なくして、土台作りはできない。 論文の体裁で書くことにこだわる必要はないが、あまりにも主観的な心象日記では成熟には繋がらない。少なくとも「誰かに読んでいただく」ことを意識して書くことが必要だろう。 そのためには、言葉も練る必要があるし、自分の中で言いたいことが整理される必要もある。 しかし、最初はそんなことできない。カスみたいなブログ記事や、感情的なSNS投稿ができ上がるのが関の山だ。 「それでいい」とは言わない。しかし「そこから始めるしかない」と言いたい。そして、その悔しさを胸に、様々なテキストや人と向き合い、スタイルや態度を吸収して、自分のものに練っていけば良い。 ### 政治について 政治についてどのように土台をつくるか。これは難しい点である。 私の場合は政治組織等の中から色々なものを見ることが出来たので、その点恵まれていた。しんどかったけど。 これもロールモデルを見つけていくことが必要だろう。また、必要ならその現場に飛び込み、様々な矛盾を経験することも必要だろう。 少なくとも、SNSだけを見ていては政治についての土台作りはできないことは確かだ。空疎な言葉しか使えない人が多数いることが、その厳しい現実を証ししている。 ### 結び さて、今回は自分の土台作りについて、つらつらと駄文を書いてみた。 気楽に書いたので、抜けていることもあるし、整合性のないこともあるかもしれない。その程度の人間でも、18歳で哲学と出会い、36歳で「これが私の土台だ」と言えるものも作れた。時間はかかるかも知れないが、取り組み甲斐はあることを強調し、駄文の結びとしたい。 [^2rqa]: うえの, 2026, (2026年2月11日取得, https://fedibird.com/@utan/116049510842371510).